江戸川区のあゆみ

古 代
 江戸川区は昔、海の底でした。母なる川「江戸川」の運ぶ土砂によって、弥生時代中期頃から陸地化し、弥生時代の終わり頃に小岩で人が住みはじめたようで す(上小岩遺跡)。8世紀の正倉院文庫の中の下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍に見える甲和里は今の小岩ではないかと言われています。

中 世
 平安時代末から鎌倉時代には葛西清重が治めていました。永正6年(1509)、連歌師柴屋軒宗長は今井の浄興寺、小岩の善養寺を訪れ、紀行文を書いています。室町時代の後期には、北条対里見の戦いがこの地で行われ、北条氏が秀吉に滅ぼされるまで関東を支配しました。

木造阿弥陀如来立像 木造観世音菩薩立像

近 世
 家康のどの町づくりに際し、当区でも新田開発が盛んに行われました。幕府は行徳の塩を運ぶため新川を開き、房総と江戸を結ぶ舟運の重要な通過地となりま した。小岩市川の渡しや逆井の渡しは多くの人が行き交い、賑わいました。また、幕府の直轄地として将軍の鷹狩りも行われ、八代将軍吉宗は何度もこの地を訪 れています。

昇覚寺鐘楼

近 代
 戊辰戦争の時、小岩市川の渡しでは官軍と幕府軍が戦いました。明治に入り、36ヵ村が10ヵ村になりました。近代日本の歩みとともに、葛西の海苔養殖、 小岩の和傘、篠崎のざる、鹿骨の花、一之江の金魚などの産業が盛んになりました。総武線の開通により人口も少しづつ増えてきました。

現 代
 昭和7年、三ヵ町四ヵ村が合併し、人口10万人の江戸川区が誕生しました。太平洋戦争では平井、小松川地区の大空襲、戦後は台風による水害、昭和30年 代の高度成長期にはコミ公害など、苦難の時代が続きました。東西線の開通などで人口が急増しました。現在では、区画整理、親水公園、文化施設など生活環境が整った大都市になり、人口も60万人を超えました。

郷土資料室

江戸川郷土資料室 パンフレット
江戸川区の文化財 1994(通巻10集)
■発行・編集 江戸川区教育委員会
くらしの便利帳 平成12年4月発行 江戸川区
■編集 区政情報室 より抜粋