杉並区の歴史

 <原始から古代>  杉並区内には、北部に妙正寺川、中央部に善福寺川、南部に神田川の河川が流れており、これらの河川の流域のある台地上には古代の人々の生活跡が残されています。
 先土器遺跡跡として善福寺川流域には川南遺跡があり、神田川流域には高井戸東遺跡があります。特に高井戸東遺跡から出土した局部磨製石斧は、今のところ日本最古(約2万7千年前)の石器郡の一つとして学界の注目を浴びています。
 縄文時代の代表的な遺跡としては井草式土器を出土して早期の標式遺跡となった井草遺跡があり、中期になると日本でも数少ない環状集落として有名な塚山遺 跡、舌状台地上に60基以上の住居址を確認した松ノ木遺跡があります。これらの時期は、狩猟採取の経済社会で人々は定住せずに、各台地上を点々としていた ものと思われます。
 弥生時代遺跡の中で代表的な遺跡として23区内では初めて発見された方形周溝墓(一辺が4m程の浅い溝を方形に巡らした墓)が調査された和田堀公園大宮遺跡、火災でくずれ落ちた住居址が発見された大宮中学校遺跡があります。
 遺跡数の少ない弥生時代に比べると、古墳時代は逆に遺跡は大規模な集落として各地で発見されています。矢倉台遺跡、松ノ木遺跡、済美台遺跡、方南峰遺 跡、高井戸東近隣(第二)遺跡が代表的な遺跡です。これらの遺跡は比較的ゆるやかな台地上に何十基という住居址が重なり合って発見されており、この頃から 狩猟採集の移動経済社会から脱皮し、集落として定着したものと思われます。
 奈良時代になると、武蔵国府は今の府中に置かれ、国府・豊島駅間の中間駅として、乗瀦(あまぬま)駅が設置されました。いつしか乗瀦駅はなくなりましたが、この乗瀦駅の所在については、区内の天沼であろうとみられています。
 平安時代に編集された「倭名類聚抄」に各国郡の郷名が書かれていますが、区内は玉郡内10郷中で大部分が海田(あまた)郷に属していたようで、海田と天沼の連なりが考えられるとともに、区内の和田が海田の遺名であるかも知れないとも言われています。

<中世から近世>
 和歌山県那智神社所蔵『那智米良(めら)文書』は熊野那智神社の御師(おし)の関東行脚の記録で、応永27年(1420年)のもののなかに「中野殿、あ さかやとの」と記され、阿佐ヶ谷の地名を名乗る武将の存在したことを示しています。一方、上杉文書を見ると宝徳3年(1451年)の室町幕府下知状の写し があります。これは鎌倉の円覚寺宝亀庵と受勝軒の寺領である越後国中治田保を、道悦の知行している堀内・下荻窪・泉村(和泉)と交換することを幕府が認証 したもので、道悦とは、関東管領上杉憲実の弟重方の法号です。この文書によって、当時の堀内・下荻窪・泉村などにある程度の田畑・農家・農民がいたことが 確認されます。
 徳川幕府が江戸に開かれるとともに、区内の村々にそれぞれ支配機構が確立され、また新田開発による開村などもあって、中期諸島には20の村が成立しまし た。これら20の村は、幕府直轄領(天領)・代官支配地・今川氏領・内田氏領・岡部氏領(元禄以後なし)・山王社領などに分かれていました。これと同時 に、杉並は江戸近郊の農村地帯として、江戸市民への野菜の供給のほか、その清掃面をも担当していました。杉並は江戸時代300年間を通じ、純然たる農村地 帯で、住民もほとんどが農業に従事していました。彼等は、収穫物の中から一定の年貢を領主や代官所に納めるほか、臨時の課役や道路・橋梁の普請の助役およ び助郷(すけごう)などを勤めなければなりませんでした。その他、将軍に対する諸納物の調達などにも追われていました。

<明治維新から現代>
 明治維新によって徳川幕府が倒れるとともに、大部分が旧幕府直轄領であった本区内は、武蔵知県事の支配下にはいりましたが、次いで品川県に編入されました。
 明治4年、戸籍法(5年実施、壬申戸籍といわれる)の施行に伴い、本区は、東京府第8大区5小区と6小区に属していました。同時に江戸時代から続いた名主制度が廃止されて、戸長・副戸長の制度となりました。
 明治5年の学制実施によって、8年4月に小学校が区内に設立されました。
 明治11年、郡区長村編成法によって東京府は15区(市街地)と6郡(郷村地)に分けられ、本区は6郡中の東多摩郡に属しました(東多摩郡は、明治29 年に南豊島郡と合併し豊多摩郡と変更)。ついで、区町村会法が公布され、区内20ヵ村は六つの連合村を組織し、その各々に戸長が置かれ戸長役場(村役場の 前身)が設けられ、連合村会も持たれました。
 さらに、明治21年には市制および町村制が発布されて、区内20ヵ村も4ヵ村あるいは6ヵ村が合併し、翌22年には杉並・和田堀内・井荻・高井戸の新4ヵ村となりました。
 画期的な変化をもたらしたのは、大正12年9月の関東大震災後の東京市人口の郊外流出でした。区内では杉並村の発展がもっとも早く、同13年6月には町 制をしきましたが、ついで同15年7月には和田堀内(後に和田堀と改めた)・井荻・高井戸の3村が相ついで町になりました。
 昭和7年10月1日、新市域に新しく20の区が置かれたとき区内には杉並・和田堀・井荻・高井戸の4ヵ町がありました。その後、昭和18年7月、新たに 都制施行とともに東京府東京市は東京都となり、本区はこの時から東京都杉並区になりました。戦後、地方自治法の公布により、都の区は特別区とされ、市に近 い性格を与えられました。その後、昭和40年の大幅な事務事業移管を経て昭和50年4月からは、地方自治法改正に基づき区長公選制が施行されるなど、自治 権は、ほぼ保健所設置の市と同様に拡充されています。

杉並区史跡散歩地図
■編集・発行 杉並区教育委員会振興課文化財係 より抜粋